天国にいる娘

最愛の我が子

我が子を亡くした母親

こんにちはおじゃどママです。

最近、子供が犠牲になるニュースを見るたびに

心が痛みます。

私も、5年前に娘を亡くした母親です。

5年経った今もその悲しみと呼べるかわからないものと戦いながら生きています。

私のブログに辿りついた方は、きっと当時の私と同じように

なぜ、我が子が死んだのか?

これからどう生きればいいのか?

生きる意味さえわからない?

だけど、必死で我が子の死を受け入れるため

理由を探すためにネット検索されているんじゃないですか?

私も、5年前。なぜ?娘が亡くなったのか

この世に産まれた意味は?なぜ私は我が子を守れなかったのか?

もう、考えれば考えるほどに、答えは見つかりませんでした。

きっと、あなたも今その苦しみと戦っていると思います。

だから、私は今回このブログを書くことを決めたのです。

少しでも、同じ親として力になれることが一ミリでもあれば幸いです。

当時のお話をさせていただきます。

いつも通りの朝を迎え、娘を起こしに布団へ

今までに見たことない顔でした。

いつも通りの朝ではなかったんです。

娘は当時1歳半でした。

変わり果ては我が子。受け入れることは出来ませんでした。

正直、涙も出ませんでした。

今思えば、脳が拒否反応を起こしていたのかもしれません。

当時は正直よくわかりません。

当時の私。現在も、なぜ生きているかは分かりません。

この苦しみをずっと背負っていくのは正直苦しいです。

しかし、私たち親は生きなければなりません。

亡くなった我が子のために。

今私がお伝えできることは。

泣きたいだけ泣いていいんです。

辛いものは辛いと言っていいんです。

誰かに遠慮する必要はありません。

思いっきり。一人で泣いてました。

泣きたくなくても

突然、車の運転中自然と涙が出てくるんです。

どこか他人事。現実を受け止めるまで時間はかかりました。

今も、現実を受け止めれているかは分かりません。

子供を失うって本当になんとも言えない感情です。

当時の私は何も考えることは出来ませんでした。

けど、今私が生きていらるのは、

自分の母親への思いです。

当時、母親から「死ぬときは一緒だからね」と抱きしめられました。

死ぬ事さえも考えてなかった私に母は泣きながら私に訴えてきました。

今思えば私が死ぬと思ったんだと思います。

同じ母親だからこそわかるものがあったのかもしれません。

ただ、私は今この言葉を胸にしまい

生きています。

娘を失った悲しみの中で生きていくことは本当に辛いです。

しかし、生きるしかないのです。

あなたの周りを同じように苦しめないために。

これが、私たち親が天国で待っている我が子に会えるための試練だと私は思って生きてます。

娘が「ママおいで!!」「ママ頑張ったね」と

いつか会えた時に言ってもらえるように私は生きています。

少しずつ時間とともに、進んでいきます。

目の前にいない我が子ですが、今も私の中に生き続けている我が子。

あの可愛い笑顔。寝顔。全てが頭に浮かびます。

頑張る必要はありません。

今生きているだけでいいです。

一歩、一歩前に進める日は必ず訪れます。

前も後も見ずに、今を生きましょう。

2020年2月20日

6年経った今、娘の死と向き合いました。

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ABOUT ME
Ozyadofamily
フレンチブルドック&シベリアンハスキーの多頭飼い中のおじゃどママです。 このブログでは、おじゃどファミリーの様々な道のりを一人でも多くの人に伝えていきたいと思い始めさせていただきました。自分が歩んだ道で、誰かのお役に立てたいいと思っております。 様々なご内容で発信していきますのでよろしくお願いいたします。